2008年12月4日木曜日

雑感


  


















どこの町にもホームレスがいる
インドの場合は、物乞いがひとつの階級になってしまっているのだった
カースト制度が根強いインドでは、物乞いをして暮らさなければならない階層
泥棒をして暮らさなければならない階層があるそうだ
世界最大のスラム街、ムンバイでスラム街を通ると、それでも家家があり、まるで穴倉のような
家の中よりも外の方が空気が良いのではないかと思わせるような、ぼろ雑巾でできたような家がひしめき合っていた
そして、紙を集めて台車で運ぶ孫とそれを受けとって慣れた手つきでたたんで積み上げていくおばあちゃんはそれを家業に
しているのが家の様子でわかった。
職人風情はそれを生活として営み、道端では煮炊きをはじめ、歌いながら、色とりどりの
サリーを着ている女性を見るとスラム街とはいえ、日本のホームレスのような倦怠感は感じられずそこには生活としての
活気すら感じられるのだった。
ちゃんと、人が生きている。

色とりどりのサリーの話をすると、若い女の子が身を売るためのものだと言う
また、実際近くで見ると、ひどく汚れているのだと
それはそれで、現実だった

かたや、我々のホテルに着くと、そこいらはかつてのイギリス統治時代の名残のある町並みで
ニューヨークやヨーロッパをおもわせる
アラブ系のお金持ちが多く、タージマハールグループが営む立派なホテルもどんと構えていた

町を散策していると、突如老婆が現れ、まっすぐに手を差し出してくる
時の感覚が一瞬変化し、何がおきたのかと思った
まっすぐに見つめてくるその目は、どこも見つめてはいない
その手は、何を指し示しているのか、一瞬その老婆だけが流れる時間の中に立っていた
そう、物乞いのおばあさんが突如道の真ん中に現れた

老婆の見事さに対して、私はそのやり方が嫌だった
わたしはお金の用意もなく、そのまま通り過ぎてしまった
振り返ると、しばらくしてわれに返っているようだった
彼女にとっても、渾身の力が必要なのだろう
これは、切実なひとつのライブなのだ
生きるための
私はと言えば、その様子を見て、やはり物乞いだったのを確認し、
考えた挙句に、彼女へのパフォーマンス代としてお金を渡しても良かったと思うのだった

その後も、道を歩いていると、子供がすっと手をつないでくる
やはり物乞いの子で、お金頂戴とか、何か頂戴とか、連れにいくらならいいよと
自分を売ってくる
こんなに小さな子が自分に値段をつけてくるなんて

私のプライドなんてなんなのだろうと思った

彼は買ったばかりのコーラをあげて二人で半分こするんだぞと言い渡した

彼女たちはどうやら、そこまで悲壮ではない物乞いの階層の子で
親が遠くから見守って、物乞いの仕方を学ばせているのだと言う
お金を渡しても元締めに渡るだけなので、ジュースなら彼女たちがのめるからと

その夜、連れは自分がいる身分に罪悪感を感じて泣きながら祈っていた
私はと言えば、もう幼い頃からあるその罪悪感に慣れたようでなかば麻痺していた、
そして、肉体を脱ぎ捨てた時に高貴でありたいと願うのだった



ネパール
物乞いのこが減ったとはいえ、カトマンズには昼間から道端で死んだように寝ている子供がいる
歩道橋でも片足が奇形で無い子供を寝かせ、物乞いをしている母親
子供にミルクをといって、雨の中観光客の後をついてまわる女性
これ買って!といって、明るく声をかけてくる子供

ポカラにもいたが、以前と比べると数が減ったらしい
その分、子供の為の施設が増えていた。
でも、ちょっと町に出ると、とたんに目に付き始める
むしろ、年齢が少し高くなっている
足元にいきなり触れて、たぶん祈っている
哀しみが定着してしまった目をしている
駄目だとわかると、果物屋の屋台に行く
足元には、悪くなった果物が置いてあるらしく、慣れた手つきでもらっていく

そうかと思えば、足を骨折しているのか、ギブスを巻いた松葉杖を持った男が笑顔でバスに乗り込んできた
首からは土産物屋にありそうなきれいな織物のバッグをさげ、喜捨をこう
この男性が何かいうと、皆いっせいに喜捨し始めた
私には、この人の笑顔があまりに屈託が無くそして、一時的に骨折をして今は働けないでいるので
募金をおねがいしますとでも声をかけているかのように聞こえるほど、健康的だった
むしろ、物乞いの子供のために、この男が営業活動をしたら、効果てきめんに色んな寄付が集まるのではないかと
いう確信さえおきるほどに
この人はなんなのだろうと、じっとみつめていた
この人も相変わらず笑顔のままみつめかえす
バスの中では、互いの対面が働くのもよく知っているのだ
バスの中では、大の大人に喜捨していた人が、ストリートの悲壮な少年の物乞いは断っていた
喜捨文化があるとはいえ、誰にでもというわけではないのは人の心理の働きだった

パリに来て、白人のホームレスが目に付く
皆、身奇麗で、足元を見ないとそれとわかりづらい人もいるほどに
ネパールのホームレスのような悲壮感や、切実さは感じられない
もっと、悠々としているところが見受けられる
そして、もっと知的な人が多い
パリでは、有色人種が清掃の仕事やパートのような仕事をしているのはすぐにわかったのだが、
有色人種のホームレスはあまり見かけない
近所にいる人も、どうしてしまったのだろうかととても気になるほど、ちょっと奮起すれば
普通に暮らしていておかしく無い人がいる
彼に、1ユーロ寄付したら、ありがとうととても喜んでいた
そして、その後姿を見なくなった
なにか、彼には
他人事とはおもえないものがあった


カトマンズで出会った、ポーランドの法律を学ぶ女の子、アメリカのエンジニアリングを学ぶ女の子らが
こうした現状を見て、夜のライブハウスで真剣に語り合っていた
彼らが、感受したものを未来に持って行ってくれることは、ひとつの希望だ

アピアではタイの山岳民族の親を殺された子供達を保護する学校に寄付をしていた

ポカラのドーモーさんは、貧しい人々を助けるために自分の子供たちを医者にしたいといっていた
ストリートチルドレンを学校に行かせるために、日本人から里親を募ったりもしていると
奥さんは、もっと自分の家族を潤うようにして欲しいと言っていると


オーストリアではほとんど物乞いをみかけない
オーストリアの福祉はかなり整っている
それでも、二人ほど物乞いをみかけた

エジプトにはプロの物乞いがいて
実はお金持ちだったりするとか